鍼灸学校の学生の相談

鍼灸学校の学生の相談

つい5年前までは、妻と二人で鍼灸院をしていたけれど、
色んな人の出会いによって、鍼灸院という場所を通じて人が行き交う。

年々その人たちは増えています。

働く人も患者さんも、鍼灸院に関わる業者の方も含めて関わりが大きくなっている。

本当にいい人と出逢えていて、ありがたいと思っています。

そんな中で、最近特に印象的なのは、鍼灸学校の学生さんと交流です。

「鍼灸学校の学生さんからの質問」

「どうやったら。鍼は上手になりますか?」
「先生は、どんな修練をしてきましたか?」
「この鍼灸院で働くまで、どんなところで働いていましたか?」
「鍼灸の勉強ってどんなふうにしますか?」
「鍼灸以外の勉強はどうしていますか?」

鍼灸学校の学年によっても違っていて。

1年生
「この時期はどんな勉強をしていましたか?」
「学生の頃は、どんな目標を立てて、学生生活を送っていましたか?」

2年生
「鍼の実技で、うまくうつことができません。どんな練習が必要でしょうか?」
「学校で、いろんな先生がいて、いうことが違います。だから、迷いますが、いい方法はありますか?」

3年生
「今の時代で、卒業したとして、先生なら卒業後にどんな選択をしますか?」

「自分たちの学生時代」

遠藤彰宏がこうして鍼灸師として生きている。
遠藤真紀子が鍼灸師として生きている。

遠藤真紀子の父田中正治は、大阪の明治東洋医学院専門学校を卒業していますが、米山鍼灸院(吹田)で弟子入りし、米山博久先生、米山由子先生の元で学び。
米山鍼灸院を卒業後に、金沢の多留淳文先生(多留内科)での研修を経て、田中はり灸療院を継ぐ。

遠藤真紀子は、父の影響を受け、大阪の森ノ宮医療学園へ入学、2年生の頃より米山鍼灸院に弟子入りし、米山由子先生、米山悦子先生、鈴木信先生にお世話になる。
遠藤彰宏はたまたま、真紀子と同じ森ノ宮医療学園に入学し、妻の縁で、米山鍼灸院で勉強をさせていただける機会に恵まれる。

二人の鍼灸師としての根幹を作って下さったのは、間違いなく、米山鍼灸院。米山鍼灸院に集まる方々。先生方のご家族。

弟子入りをしているから、していないからという境界もなく。

「鍼灸を学ぶ者」

そこには、本当にたくさんの愛に包まれた時間です。

出来の悪い自分でもずっと、大切にしていることは。

「鍼は優しい治療です。丁寧に鍼をしなさい。」

「絶対に痛い治療をしたらいかん。」

「あなたの鍼で、患者さんはあなたの鍼の評価をするのではなく。
あなたの鍼で、鍼灸全体の評価をされる。
そういう責任がある。と自覚して鍼をしなさい」

鍼技術論「私がこの歳まで鍼をしてきて、それを説明してくれているのが、榮の『鍼技術論』だから、これをしっかり読んで鍼の技術を生涯磨いていきなさい」
(鍼技術論 米山榮、米山由子 医道の日本 ,2000 )

「いい鍼をたくさん受けて、その鍼を知っている人に再現する。」
私の場合には、米山由子先生の鍼を受けさせていただき、米山由子先生の鍼を体感したことがある人に鍼を受けていただく。
その時に、鍼から表現される「鍼の響き」心地よく母子で押圧されているかのような、丸く柔らかい刺激。

鍼という道具が同じでも表現される音色が異なる。

これは、ピアニスト、バイオリニストのように、道具が同じでも音色が異なるように、
鍼も表現方法が変わってくる。

今この鍼灸院には、この業界にはない取組がたくさんある一方で、
私たちが受け継いだバトンは、私たち自身もまだまだ磨いている途中にありつつも、
一緒に学ぶ人たちに何かヒントになればと鍼をうつ毎日。

そんな学校では体験することができない鍼を私たちは現場で磨き続けているし、
師の背中を今も追い続けている。

「自分たちにできる恩送り」

今のコロナの状況で、どこまでそういう環境を作って行けるのか課題は多いものの。

鍼灸学校の先生方から紹介がある学生には、お互いの信頼の上で、やはり答えのない答えの導き出し方。
自分たちがもがいていることも含めて包み隠さず見せて、共に考える。

そんな環境が作れた時に、
諸先輩方が描いた未来に少しだけ近づけるのかもしれない。

学生時代から読んでいる米山鍼灸院に関する本(一部)

私の鍼灸治療学 米山博久
小児はり法 米山博久 森秀太郎著
新しい針灸院

遠藤彰宏

大阪府出身
はり師
きゅう師
あん摩マッサージ指圧師

所属団体
JISRAM(日本生殖鍼灸標準化機関)
鍼灸SL研究会
日本臨床鍼灸懇話会
日本鍼灸師会
全日本鍼灸学会
福岡県鍼灸師会
福岡市鍼灸師会

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