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遠藤真紀子(旧姓田中)

はり師
きゅう師
不妊カウンセラー(不妊カウンセリング学会認定)
福岡県出身
森ノ宮医療学園専門学校 鍼灸学科卒業

所属学会
日本臨床鍼灸懇話会
不妊カウンセリング学会

鍼灸は生活の一部

祖父、父が鍼灸師という環境に生まれた私は、幼い頃から鍼灸治療は日常の中の一部でした。

「風邪を引いても鍼」「歯茎が腫れても鍼」
鍼灸治療が身近にあることがどんなにありがたいかを考えることもなく、生活の一部にあった子供時代。

関西の大学に進学した頃も、私は、鍼灸師になるとは考えてもいません。
大学2回生の頃、福岡に帰省し鍼灸院を手伝う機会がありました。

実家と鍼灸院は別だったため、患者さんに治療している風景を見たのは、はじめてでした。

痛みの強い患者さんが、帰りには“楽になりました”と言って帰られる。

治療前と、治療後の変化を目の当たりにした衝撃と感動は今でも忘れません。

私もこんな治療ができるようになりたい。
鍼灸という治療の魅力。
鍼灸師という職業の魅力をこの時にはじめて気がつきました。

私が一生していく仕事はこれだと思いました。

専門学校への入学と米山鍼灸院での修行

専門学校に入学後に、父も弟子入りしていた大阪の吹田市にある米山鍼灸院で私もお世話になりました。米山鍼灸院は、すでに開業70年以上という歴史のある鍼灸院でした。故米山由子先生をはじめ、娘さん、お孫さんという3世代に渡る先生と兄弟子という中で修業時代を過ごします。

“鍼灸の技術的なこと”
“治療者としての心”
“日々の生活”

この大阪での米山鍼灸院での生活は、専門学校では学ぶことができない体験ばかりでした。鍼灸師としての私の土台は、父と同じように米山鍼灸院にあります。

同じ鍼灸院に弟子入りをしたことで、父の鍼灸学校時代や、修行時代という私の知らない頃のことを知ることができたことも嬉しい体験でした。

師匠から聞く「あなたのお父さんは、やさしくて誠実な人」
これはやっぱり嬉しかったです。

福岡へ戻り田中はり灸療院へ

田中はり灸療院へ戻り、故田中僅悟、故田中正治と3人での治療体制で再び田中はり灸院とは何かを2人から長年の患者さんから学ばせていただきました。

故田中僅悟がこの頃86歳、米山鍼灸院の米山由子先生は88歳でした。70年鍼灸をしてきた技術というのは職人技です。

“身体に触れる” “鍼を刺す” “患者さんに言葉をかける” どれも洗練されています。
現在の鍼灸の世界は、徒弟制度は過去のものとなりつつありますが、私が学ぶことができた“鍼の技と心”は生涯追及し続け、受け継いでいく必要があります。

私が体験してきた鍼灸の良さを患者さんだけではなく、私たちより若い世代の鍼灸師の先生に伝える努力を今後はしていく必要が出てきました。

西村奈央との出会いや、インターンで当院を訪れる鍼灸師、学生の方とともに、一緒に学び続けていきたいと思います。

患者さんの年齢の変化

私が福岡に戻ってきた頃の鍼灸院は、痛みが主体の患者さんばかりでした。故田中僅悟も、田中正治も痛みが疾患を専門としながら、内科的な治療を行っておりました。

私と遠藤彰宏の二人の体制になった2011年頃からは、治療者二人が若返ったこともあり、患者さんの訴えに大きな変化が出てきました。

妊娠出産を希望される患者さんとの出会い

妊娠、出産を希望される患者さんが増えたことは一番大きな変化でした。

はじめて来院された妊娠希望の患者さんは、「体外受精で移植をする際に鍼灸治療を併用したい」という希望で来院されました。

その頃は、まだまだ「不妊症に対する知識」も「不妊に対する治療も甘かったと思います」その方は、幸い妊娠され、無事ご出産されました。

この時の治療者としての喜びは、これまでの治療体験とは違う“いのちと向き合う”鍼灸治療だということを気づきました。

それから不妊カウンセラーとなり知識を積み上げていき、さらに不妊鍼灸ネットワーク、JISRAM(日本生殖鍼灸標準化機関)、中村一徳先生の私塾(JISRAM会長 京都 なかむら第二針療所)を通じて、全国の先生方と交流をさせていただき、不妊症の方にできる鍼灸治療とスーパーライザーを使用することで、治療の幅、効果がどんどん広がってきています。

すでに来院された患者さんからの最新の医療機関での情報も、次の患者さんへの大きな財産になっています。

鍼灸に携わるようになって15年はあっという間でした。

この仕事につけた喜びと、一緒に歩み成長してくれる家族、そして多くの患者さんに感謝しております。

 

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AKIHIRO ENDO
遠藤 彰宏
はり師
きゅう師
あん摩・マッサージ・指圧師
大阪府出身
森ノ宮医療学園専門学校 鍼灸学科卒業
京都佛眼鍼灸理療学校 専科卒業

所属学会
日本臨床鍼灸懇話会
JISRAM(日本生殖鍼灸標準化機関)

所属団体
福岡県鍼灸師会
福岡市鍼灸師会

鍼灸との出会いは、高校時代です。高校野球で身体を酷使し、身体が悲鳴をあげた際にはじめて受けた鍼治療の効果と、その後の身体のメンテナンスの大切さを実感し、この体験を自分でもしてみたいと思ったことがきっかけです。

鍼灸学校に入学と同時に鍼灸整骨院で勤めることになりましたが、そこでは鍼灸の魅力を感じることはできませんでした。

鍼灸院での鍼と整骨院での鍼には大きな違いがありました。
自分の勉強したいことは鍼だということに気がつかされました。

そんなときに、当時同級生だった妻が弟子入りしていた米山鍼灸院の故米山由子先生に出会ったことで、自分の人生は大きく変化をしていきます。

故米山由子先生の鍼は“とても心地が良い鍼”です。
“米山先生の鍼を体験して、しっかり勉強するぞ”と思って横になっているのに、気がついたら寝てしまいます。

“自分もこんな鍼をうちたい”と思い整骨院での仕事を辞め、見学という形で毎週通わせていただきました。

鍼灸学校2年生から、次の佛眼を卒業する5年間見学をさせていただき、本当に貴重な経験をさせていただきました。

米山鍼灸院に見学にいくご縁で、ご子息の米山榮先生(神経内科医,鍼灸師)でも研修を受けさせていただくことができました。米山榮先生は、鍼灸師になられた後に、医師になられ“鍼灸を神経生理学の側面から研究”を臨床の中でされてこられた先生です。

米山榮先生のクリニックで勉強させていただく中で、特に今の自分の臨床に活かされている点は、通常の鍼灸臨床では出会うことが少ない病気をたくさん診せていただいたこと。神経痛でも手術の選択、専門医の先生にいつ依頼をするかなど、医療機関でしか得ることができない経験をさせていただきました。

また、2010年、2015年、2017年と3度米山榮先生、米山鍼灸院の鈴木信先生らとドイツでのセミナーに同行をさせていただいたことも貴重な経験となっています。

「世界からみた日本の鍼灸の特徴は何か。」
「どういった視点で海外の先生は日本の鍼灸を注目しているのか。」

ドイツのセミナーで講演をさせていただいた経験は、自分の臨床に、学会発表の場で大きな力になっています。

妻と結婚して、この田中はり灸療院2008年から、お世話になっています。

故田中僅悟、故田中正治という二人の名鍼灸師の鍼は熟練の技で、患者さんの抱える痛みを取りさっていきます。

この頃の臨床は、鍼灸治療を技術的に追及していくとどこまで治療できるのかを知ることができました。
今も目標にしている到達点に設定しています。いつか同じ視界をみてみたいです。

故田中僅悟が引退し、つづくように故田中正治も2012年に鍼灸の臨床から離れました。

私と妻の二人が臨床をすることになりました。

この頃に鍼灸院は明らかな変化の中にありました。
自ら動くではなく、何かに突き動かされるような不思議な体験ですが、“妊娠を希望される患者さん”“小児はりを希望される患者さん”祖父も父もこれまで扱ってこなかった治療をお願いされる機会が増えました。

その頃に、ずっと大阪時代に経験させてもらった妊娠を目指した治療をもう一度していく決心をします。これが私たち二人が責任をもって取り組んでいくべき道だと思いました。
幸い不妊鍼灸ネットワークに入会することができ、これまで不妊鍼灸を最前線で取り組み研究されてきた先生方と学ばせていただくことができました。研修会以外でも普段からお付き合いいただき生殖医療のスピードに同調するように、自分たちがこれまで見ることがなかった鍼灸の世界に引き込まれていきました。

大阪の梅田駅前にあるグランフロントにあるHORACを不妊鍼灸ネットワークの先生方と見学を許されました。その際,森本義晴先生よりこんな言葉をかけられました“僕たちは同じ運命の船に乗って、患者様を救うという同じミッションを神様から貰っているのです”

私たち二人は、このミッションを実現するために行動をしております。

当院で以前より来院されていた患者さんの娘さんが実は鍼灸院に通いながら、不妊治療をしているという相談も受けたりもします。そこで、不妊鍼灸ネットワークの先生を紹介すると、これまで人工授精でも難しかったため、体外受精も考えようかという段階でしたが、自然に妊娠され。またネットワークの先生のところを受診していた患者さんが、ご主人の転勤の都合で当院を受診されるなど社会として大きな役割を担っております。

今まで鍼灸治療を受けたことがない方はもちろん、他院で鍼灸治療を受けていた方。これは不妊症に限らず、ここでしか受けることができない高い水準の治療を受けることができることをお約束いたします。

 

NAO NISIMURA
西村 奈央
はり師
きゅう師

福岡県出身
福岡医療専門学校 鍼灸学科卒業

鍼治療のことを知ったのは中学生の時です。
私は陸上(中距離)をしていて膝のケガをしたことがきっかけで治療を受けました。
膝の痛みが治った後も、鍼治療でコンディションを整えることで陸上でのパフォーマンスを上げる目的で鍼灸院に通っていました。
この当時は、「鍼治療は、受けるもの」高校卒業後も陸上一筋でやっていくことだけを考えトレーニングに打ち込みました。

高校生のある時に、陸上部の監督から「鍼灸の免許が取れる学校があるから行ってみてはどうだ」という話を受けました。
その時に、‟鍼治療を自分自身にすることでより競技者として向上していくことができるんじゃないか”また自分のように‟なんらかの症状をもって困っている人を助けることができる”そんなことを考えているとワクワクしてきて、鍼灸師になる道を選びました。

専門学校入学時には、鍼灸の免許を取得後は実業団に入り陸上を続けることを目指していました。そこで選手兼トレーナーという形でし活動していければ、と考えていました。

ですが、現実はそんな甘くはありませんでした。
トライアウトを受けたのですがとってもらえず、実業団で走ることは諦めました。

私は「鍼灸師として仕事をしていく」と決め就職先を探しました。
その際には、WEBを使いたくさんの鍼灸院を調べました。その時に目についたのが、田中はり灸療院でした。

パット目を引いたのはWEBのデザインでした。他の鍼灸院と比較して、わかりやすく表現されているので、現代的なデザインに魅力を感じ、また、WEBをくまなく見ましたが、「様々な疾患の治療をしている」

治療だけでははなく、「エコー(超音波診断装置)」聴力検査(オージオメーター)の機械、スーパーライザーも完備しているなど、他の院にはないもの設備にも興味を持ちました。
院の歴史も深く色々なことが学べそうだと思いました。
私の目指す鍼灸師は、患者さんの話をしっかりと聞き、初めて鍼を受ける人にも安心して治療を受けてもらい、鍼の良さを知っていただきたいと思っています。
そしてたくさんの人に鍼治療を知ってもらい、一人でも多くの人が日常生活で痛みを感じることのない生活を送っていけるお手伝いがしていけると幸いです。

 

 

YOSIKO TAKATA
髙田 良子

当院で30年近く受付を担当していただいている方です。
どんなに昔の方からお電話をいただいても「〇〇さんお久しぶりですね」
この安心感に私たちは支えられています。

当院のレジェンドは間違いなく髙田さんです。