田中はり灸療院の集合写真早く行きたいなら一人でいきなさい
遠くへ行きたいならみんなでいきなさい

私たちは創業73年が経過したこの鍼灸院で
チームとして患者さんの期待に応え続けること

「伝統(アート)」×「科学(サイエンス)」
鍼灸院の新しい形を創造し続ける

私たちがどんな思いで集まったのか
どんなことをしてきたのか
どんなことをしていきたいのか

それぞれの一面をご紹介させてください

遠藤彰宏のプロフィール写真

遠藤彰宏

CDO
最高デザイン責任者
大阪府出身
はり師
きゅう師
あん摩マッサージ指圧師

所属団体
JISRAM(日本生殖鍼灸標準化機関)
鍼灸SL研究会
日本臨床鍼灸懇話会
日本鍼灸師会
全日本鍼灸学会
福岡県鍼灸師会
福岡市鍼灸師会

鍼灸に魅せられて

森ノ宮医療学園専門学校の外観
森ノ宮医療学園専門学校の入り口鍼灸との出会いは高校時代です。
高校野球で身体を酷使し、身体が悲鳴をあげた際に初めて受けた鍼治療の効果と、その後の身体のメンテナンスの大切さを実感し、同じように身体の痛みで悩んでいる人に治療ができるようになりたい。そう思って鍼灸学校に入学しました。

鍼灸学校に入学し、色んな授業を受けながら、日々なんとなく過ごす毎日。
まだ19歳の自分には将来の目標が具体的にはなっていない。
鍼灸師の免許と柔道整復師の免許をとって仕事をすることが流行りみたいなところはあったので、漠然と自分もそんなふうになるのかなぁ。
ぐらいにしか考えていませんでした。

当時、同級生だった妻が弟子入りしていた米山鍼灸院の故米山由子先生や、米山鍼灸院に集まる先生方、由子先生のご家族と出会ったことで、自分の人生は大きく変化をしていきます。

心地よい鍼との出会い

故米山由子先生の鍼は、“とても心地が良い鍼”です。

「心地よい鍼って何?」と思われるかもしれません。

米山由子先生がお昼休みなどを使って見学者に鍼治療を見せる際、自分たちの身体に施術をしていただける機会があります。

この時の私の心境は、
「しっかり勉強するぞ!」
「身体で覚えて、自分でもそんな鍼を打てるようになる!」
って思って鍼を受けていても、毎回毎回、気がついたら寝てしまうのです。

まるでマッサージを受けているように、首や肩に柔らかな刺激が送られてくる。
体表から刺激をするマッサージと違い、鍼は身体の中で操作され、刺激が生まれてくる。

自分が不調を感じているところ、届いて欲しいところに届く。

自分が欲しかった場所に、なんとも心地の良い音色のような鍼が、柔らかく響きわたる、快感のある鍼。

この由子先生の鍼と出会って、この感覚の鍼を体感して、もう20年が経過していますが、
今も自分の中にある大切な鍼の感覚で、ただただこの心地良い鍼をずっとうちたい。

ただただ同じような鍼を表現したいと思って20年間、鍼を持ってみて。
「鍼は初めてで怖いんです」っていう患者さんに
「鍼って、こんなに優しいんですね」
って言っていただけるようになりました。

目標に向かって突き進む中で、現在地がどこなのか。
今どの辺りを通過しているのか。
自分自身を評価することは難しい。

でも、あと50年は鍼を持てると思うので、まだまだ追いかけてみたいと思っています。

米山由子先生にお会いして一番最初に言われた言葉。
「鍼灸治療を専門に治療院をしなさい」
「あなたがする鍼で、鍼灸全体を評価されます。
そういう責任を持って鍼をしていってください。」

この言葉がなかったら、きっと色々な誘惑にも負けてしまう自分。
この言葉のおかげで、自分の中の鍼灸師としての生き方が決まった。

由子先生
「今は先生に頂いたバトンを若い世代に繋げたらと、未熟ながらも考えています。」

米山鍼灸院の皆さんに受け入れていただいた時の自分のように。
家族のように、温かく迎え入れて見守りたいと思います。
米山榮先生とドイツの講演前に記念撮影

鍼灸師&神経内科医
米山榮先生との出会い

米山鍼灸院に見学に行くご縁で、ご子息の米山榮先生(神経内科医・鍼灸師)のクリニックで研修を受けさせていただくことができました。
米山榮先生は、鍼灸師になられた後に医師になられました。
「鍼灸を神経生理学の側面から研究、評価する」
そのために医師になり、病院勤務時代も開業してからも、神経内科と鍼灸の外来をされた稀有な先生です。

米山榮先生の「鍼灸師も医師も卒後の3年で将来が決まる」
この言葉の意味をずっと考えています。

この時の3年間の努力が、その後の伸び代を決めるという意味なのか。
この時の3年間の経験で、将来の目指す方向が決まるという意味なのか。

「鍼灸師の免許は取得しているものの、自分には何ができるのか」

知識があることと、実行できることにはギャップがある。
鍼を打てることと、鍼で治すことにもギャップがあり、
私はまだこの頃鍼をうつことを許可された免許を持っているに過ぎない。

「鍼灸で治療するということは、どういうことなのか」

米山榮先生のクリニックで勉強させていただいたことで、「医師とは」「鍼灸師とは」
「臨床家とは」という具体例を示していただいた。

不安を持って来院される患者さんの症状に寄り添いながら、可能な手段を提案していくこと。
また、時間軸で評価する必要があること。

どうしても、一回の治療の中で結果を出したいと考えてしまうが、
自分の立てている仮説を、身体所見、治療も通じて経過観察しながら再考する。
この時間の捉え方を大変学ばせていただきました。

特に、神経内科という診療科目の特性から、変性疾患、
少しずつ身体の変化が起きるような疾患など、
通常の鍼灸臨床では出会うことが少ない病気を、たくさん診せていただきました。

この疾患では一回で診断がつくということはなく、丁寧に経過観察をしていく必要がある。

病名がつかない患者さんの不安にどうやって向き合うのか。

鍼灸でも病名は異なるが、同じように症状だけ悩まれている方が多いため、この頃の経験がとても活かされています。
ベッドサイドの神経の診方病気とは何か。
自分の役割とは何か。
神経痛を例にしてみます。
例えば、坐骨神経痛の患者さん。
坐骨神経痛というのは症状名なので、病名ではありません。

その原因によって、鍼灸が適応になる疾患はかなり多い。
一方で、患者さんの中には手術が必要な方もいます。

手術の選択、外科の専門医の先生にいつ依頼をするか。
鍼灸師として、神経内科医として
また、勤務医なのか。開業医なのか。
どんな医療体制なのかによって、同じ患者さんが目の前にいるにしても対応が変わってくる。

自分の能力が同じでも、環境や立場によってできることが異なるという視点も、この頃に米山先生より教わりました。

大阪から四日市まで近鉄電車に乗って米山クリニックへ。クリニックでは米山先生の傍で教科書を開きながらメモをとり、帰りの電車で一日を振り返り。

もっと学ぶべきことや吸収すべきことがあったはずですが、自分自身の成長が遅く、今尚、その頃に米山先生にいただいた種をどう花開かせたらよいか、手探り状態です。
自分のもとに来院される患者さんからの期待とともに、課題を一つずつ乗り越えているのが現状です。

学会の米山榮先生の講演を聞かれたことがある方は、空気感が他の先生と異なる感覚を覚えておられる方もいらっしゃるかもしれません。
自分は、緊張しながら講演を拝聴していた側の人間です。

ですが、普段の診療の時の米山榮先生は、とにかく柔らかい。
どんどん話をすることで、患者さんを笑顔にしていく。

言葉選びだけではなく、音楽の話や文化的なことなど各方面に精通されていたので、それらを患者さんに合わせて柔軟にお話しをされていたのがとても懐かしいです。

「丁寧に言葉を選びながら、医療者としての姿勢を患者さんへ示す」

このお姿から、米山由子先生、米山榮先生お二人には本当に学ばせていただきました。
ドイツでのセミナー前に参加者の方と集合写真

ドイツへ行って再認識する
日本の鍼灸とは

2010年、2015年、2017年と3度、米山榮先生、森ノ宮医療大学の尾崎朋文先生、米山鍼灸院の鈴木信先生らのドイツでのセミナーに同行をさせていただいたことも貴重な経験となっています。

ドイツでのセミナー風景「世界からみた日本の鍼灸の特徴は何か。」
「海外の先生は、どのような視点で日本の鍼灸に注目しているのか。」
「日本の鍼をどう活かしているのか。」

日本にいるからこそ当たり前だと思っていることが、実は当たり前ではない現実。
自分が気が付いていなかった「日本の鍼灸」について、様々な視点から多くの学びと気づきをいただきました。

中国の鍼灸は世界的に有名で、当時ドイツでも鍼と言えば、中国というイメージを参加者の方は持っていました。
ですので、参加者の方が持っている本は経絡の本でした。

そこに、米山榮先生が研修してこられた「神経生理学」の視点からの鍼灸治療を。
そして、日本の鍼灸治療の特徴として、「鍼管を使用する」ということ。
この鍼管を使っての操作に慣れてもらう。
操作性もそうだし、学術的にも、使うメリットを理解してもらう。

2017年に「日本の鍼の特徴-鍼管のメカニズム」について、ドイツで発表をさせていただきました。
この経験は、自分の臨床にも学会発表の場でも大きな力になっています。

ドイツでの経験を活かして生まれた問いは
「自分たちの価値とは何か」

自分たちは当たり前だと思っているが、価値を認識していないものは何か。
その上で、どの価値を磨くのか。

これを問い続ける旅が始まったのはこの頃です。

「価値を見直す」
「価値を磨く」
「価値を知ってもらう」

「何を」「何に」「どうやって変えるのか」
新しいチャレンジのスタート。

田中はり灸療院での鍼療

妻と結婚して、2008年より、この田中はり灸療院にお世話になっています。

故田中僅悟、故田中正治という二人の名鍼灸師の鍼は熟練の技で、患者さんの抱える痛みをあっという間に取り去る凄みをもっていました。

この二人の名手の技を知ることで、鍼灸治療を技術的に追及していくとどんな治療できるのか、実際に側で体感させていただき、また二人の鍼を知る患者さんから様々な学びをいただきました。
今も目標にしている到達点。

この頃、どうしても忘れることができない患者さんがいます。
神経痛で以前から定期的に通院されている患者さんが、仕事で無理をして症状を普段より悪化させてしまいました。

その時に、私も妻も必死に治療するも改善に至りません。
「これだけ症状が悪いんだから、仕方がない」
「医療者として、全てを治せるわけではない」

そんな気持ちがどこかにありました。

ちょっと変わってみなさいと故田中謹悟が登場し、鍼を変わると。
治療時間は、ものの5分でした。

患者さん:「全然違う!」「立って、歩ける」

この時の経験を機に
全ての問いは自分に返していくようになりました。
「他にできることはないのか?」
「今日やるべきことはやったのか?」

この時、鍼灸はどんなことができるのか。

限界をずっと高みに押し上げてもらった経験から、
私たちは現状に満足することはなくなり、ひたすら高速で走ることを決めました。

いつか同じ視界を見てみたいです。

故田中僅悟が引退し、続くように故田中正治も2012年に鍼灸の臨床から離れました。

私と妻の二人での臨床のスタート。

疑うのは自分の過去から

田中正治が常に言っていたのは「いい鍼を打てるようになりなさい」「いい鍼ができるようになれば、それに合わせて患者さんが来るようになる」

私が弟子なら、先代の言葉を「はい。肝に銘じます。」としていたと思います。

ただ、世の中にある職人さんー鍼灸の世界ではない、例えば、工芸の方のお仕事などが減っていっていることを考えると、
「良いものを作れば売れる」
この時代は、もう終わりを迎えたのではないかと、私自身は考えています。

その例が、下駄を作っていた広島。
エルメスは元々馬具を作っていた。

時代と共に変化する必要があるのではないか。

佐藤可士和さんが関わり今治タオルさんが復活した例や、

福岡では茅乃舎さんと水野学さんの組み合わせ

先代の言う「いい鍼」にデザインを組み合わせる必要があるのではないか。
ここは明確な目標や指標があったわけではなく。

このままではいけない。
変化をするタイミングだということ。

何かを変えなければいけない。
その時に妻が「技術を磨いていく」なら、「私はそれに見合ったデザイン」を作りたい。

そうやって始まったのが、ホームページビルダーで作成した
とっても未熟なWEBページ。

ただここで、鍼灸院には明らかな変化の兆しがありました。

”来院される患者さんが若くなっていく”
平均70歳を超えていた患者さんの年齢が、全体でみると30代後半〜40代前半かというぐらい若くなっていきました。

うわぁ。鍼灸を必要としている人がこんなにいるってことを実感する。
これまでと比較して「問い合わせの内容も変わってくる」
治療だけではなく「就職できませんか」

こんなところも変化をしてきました。

今も丁寧に鍼灸院のWEBを作成し続けています。
今現在のこのWEBも実は手作りです。

WEBを作るようになって、どんどん自分の中で変化しているのは、
見た目を良くすることにはほとんど興味がなくて、「機能を生み出す」こと。
見た目という「装飾性デザイン」から、「機能デザイン」という視点に変化してきていること。

その変化の中で、患者さんの身体で起きている変化も機能。
鍼灸院の中で起きている機能。
機能デザイン。

ここは、私が人生をかける場所だと思っています。

鍼灸という世界を外から俯瞰して見ることによって、
実は、違う角度から鍼灸の新しい可能性に目が行くようになっています。

ようやく鍼灸師としての遠藤がパワーアップして戻ってきた。

顕微鏡を覗いて精子を観察している様子

鍼灸業界が持っている課題

私が思う課題の一つ目は、当院のように先代、先々代と個人で働いていると、自分の実力に合った仕事ができるという強みを持っている一方で、
いざ自分が加齢や病気などで診療ができなくなった時、その負担は患者さんにいってしまう。

個人でやっている以上、脆さを併せ持っている。

また、鍼灸院では弟子入りの制度が長く続いてきたため、背中で語る、見て盗め、
というように、教育制度というものが確立されているわけではない。

明治や昭和の初期のように、警察免許で届出制の頃はそれでよかったが、国家資格となり、教育制度も専門学校や大学が行うようになった今、卒後教育をどうしていくのかという課題は非常に大きい。
しかし、鍼灸学校を卒業後、鍼灸師を募集している鍼灸院は福岡にはほとんどない。

そもそも新しい雇用をする気がない。そんなビジネスモデルが鍼灸業界の当たり前。
自分が福岡に来てから、何度ベテランの先生方の引退を耳にしてきたか。
そして、迷子になる患者さん方。

これは「本当にどげんとせんといかんバイ!」
ということで、この数年気合い入れまくって本気で取り組んでいるのは、
若い仲間とどうやって働いていくのか。

近江商人の三方善し「売り手善し」「買い手善し」「世間善し」
患者さんが喜び
働く鍼灸師も喜び
田中はり灸療院も成長し、永続する。

みんなが喜ぶ仕組み作りに真剣に取り組んでいます。

でも、実際には日々、仲間の成長と喜んでくださる患者さんの笑顔から、こちらが学ぶことばかりです。

本当にこの鍼灸院が好きです。
鍼灸という仕事も好き。

そんな遠藤彰宏が、この鍼灸院で思いっきり裏方でデザインをつくっています♪
「今日はどこをデザインしようかなぁ」
「今日は誰をデザインしようかなぁ」

「この患者さんの病気の問題はどこかなぁ」
「この組織の病気はどこかなぁ」

世の中にいる名医を探しながら、日々勉強を続けています。
日々の良い出会いに感謝しています。

長々と自己紹介にお付き合いくださりありがとうございました。

福地:「遠藤彰宏」という鍼灸師。
彼はとても美しく鍼を打つ。
この人の鍼を操る手先指先はうっとりするほど美しかったりする。
この人の施す鍼の音色はとても心地よい。
腕も良い。とても良いと思う。
確かな技術と知識と経験を持っている。
今も磨き続けている。

遠藤:この表現ってとても嬉しいです。
でもさ。これって弓子さんは鍼受けたことがあるし、近くでみているからわかるけど文章にすると
「美しい」とか「腕が良い。」

この感覚って、すごく表現が難しい。

弓子さんが私の鍼が好きっていう感覚は、患者さんとして通院している頃から評価をしてもらっていたので、
ずっと素直に個人のプレイヤーとして喜んでいます。

ここから課題なのは、本当のこの鍼の良さ。
ここからは、私個人ではなくて、
ここで働くみんなそれぞれがめちゃくちゃいい個性を持っていて、

この鍼の特徴ってどうやって表現できるのか。

福地:たしかに難しい。同じ鍼の道具を使っているのに表現が違う。

遠藤:自分がよく患者さんに説明するのは、同じピアノで同じ楽譜を使用していても、ピアノの奏者が違っても指揮者が違っても表現が変わってくる。
布袋さんのギターを聞けば布袋さんだってわかるし、上原ひろみさんのピアノは新曲を聞いても上原さんだってわかる。
田中はり灸療院という個性の中には、それぞれの鍼の個性があって、お互いに共存している感じが楽しい。

本当に、誰の鍼がいいとかではなく。
自分も仲間の鍼を受ける度に面白い発見が多いので、それが自分の鍼にも活かされていて、
自分の鍼も磨かれていっています。

遠藤彰宏の人となり

福地:

自称、人見知り。
十分、人懐っこい。
人の懐に入るのが上手で、
あっという間に相手が心を開いてしまう。
多分、人たらしの才能も備えている(笑)

遠藤:やっぱり小学校を3つ行き、中学校を2つ行った体験は自分の中に大きくて。
離れ離れになる辛さを考えると、仲良くなることをためう。
だから、ふるさととか幼馴染という感覚がない。

心理的安全性っていう言葉を使うと、この距離が人より厚みがあるんだと思います。
福岡の屋台に行って、隣のお客さんと仲良くなる人とか本当に尊敬します。
絶対になれないなぁ。

でも、人と仲良くなりたいとは思っているので、
なんかいい方法はないか。
この感じが全然自然ではないのが、また嫌だけど。

今も思考錯誤しています。

福地:その辺は私もよく分かる。
私も小学校時代に転校4回!(勝った⁉)
最後は同じ小学校に戻ったので小学校は3つだ。(引き分けか)
ふるさととか幼馴染という感覚が持てなくて、それを大切に持っている人が猛烈に羨ましい。
友達を作るのが下手で、小中高によくある、仲良し女子が一緒にトイレ行くとか、腕を組んで歩くとか、
アイドルの真似をしてはしゃいでいるのが羨ましかった(笑)
でも、それは死んでもできない自分がいました(笑)
内弁慶だったけど鍛えられたおかげで、今は社交的にはなってるけど、
人との心理的距離の取り方は、難しいと思っています。
人たらしになりたい。憧れる(笑)

ものに対するこだわり
空間に対するこだわり

JBLスピーカー写真 JBL4343福地:
年季の入ったJBLのオーディオスピーカー、
ニコンのカメラ、手入れをしながら使い続けている家具、道具・・・
古き良きものを大切にしながら
実は最先端も見逃さない。

ニコン顕微鏡遠藤:JBLはいいの。ニコンじゃないのよ。ニコンは顕微鏡だね。
カメラはライカだよ。あぁ話題ズレちゃう。
どちらも始まったのは、コブクロの影響を受けていて、コブクロがタモリ俱楽部に出た回は2回ともオーディオ特集であったり。
ご自身のスタジオで録音した音源をレコードにして、自宅で聴くような人。

いつか自分もこんなオーディオセットで聴いてみたいなぁと思っていたら、mixiの時代にJBLのオーディオを手放したいという方がいたので、
車で東京のご自宅にお伺いしてオーディオセットをお引越し。

オーディオのメンテナンスは、移転前の当院があった舞鶴にある義父幼馴染のproshopA&Pさんにお願いしてメンテナンスを。

いつかこんなオーディオの置ける自宅に住みたいなと思いながら、とても自宅に置ける大きさではない。

現在、当院の待合室に置いていて、いい音で患者さんを和やかなムードに。

ライカのカメラは以前行ったことのあるドイツに魅了されたことと、コブクロの小渕さんの影響でライカのカメラを使い始めた。
単焦点なので、運動会とかでは活躍できないので、妻からは…

遠藤彰宏真紀子の二人のモノクロ写真

とにかく自分が楽しんでいます。
このモノクロの写真たちはライカのカメラで撮影していますが、やっぱり好きだなぁ。
一番上の弓子さんと撮った写真はiPhone。

コブクロNEWアルバム

今はBoseのサングラス型のスピーカーが欲しいです。コブクロのYOUTUBEで黒田さんが絶賛していました。
どんだけコブクロなん?って自分でもつっこみたい。

福地:ニコンをライカに訂正したい(笑) 痛恨のミス。
どんだけコブクロなん?!

 

遠藤:だって、もう高校生の頃から桜を聞いているし。

アップデートするということ

福地:人も育てるし、花も育てるし、当院のHPも作成、育てる。
WEBページのデザイン
田中はり灸療院のデザイン
チームのデザイン
診療のデザイン
デザインにこだわり、学び、アップデートを怠らない。

鍼灸師という枠からはとっくにはみ出している。

遠藤:鍼灸師という枠。
あぁ。この枠。誰が決めたんだろう。
真紀子さんを見ていると、枠っていう言葉よりも職人として一所懸命というか、
自分の置かれている立場を大切に守るという感覚は伝わってくる。

自分は、そんな固定概念は壊してしまえ。いったい誰が作ったんだって思っている。
アップデートを怠らないというのは二つの体験があって、
さっきの中学の転校が一つ。
所沢に住んでいた時に硬式の野球をしていて、自分がどんな実力なのか、特別知ることもなく。
ただただ夢中で野球をしていた中学1年生。

そこから、転校して大阪の野球チームに所属すると。
こんなにレベルが違うのかと驚愕する。

あっ。こういう人たちがプロを目指して野球をするし、甲子園に行くんだ。
だから、このチームで上手くなる。
そんな環境の違い。

当時のチームは、ジャイアンツカップというボーイズ、シニア、ポニーリーグなどが合同で日本一を決める大会で優勝するチームで、東京ドームで決勝戦をして長嶋監督にメダルをかけていただいた。
夏休みに中学校でその話をするけど、誰にも信じてもらえなかった。

これは同級生のチームメイトとの思い出。

後は、同じチームに西武ライオンズで活躍している”おかわりくん”こと中村剛也選手がいて、学年は一つ違うものの、こういう人がプロに行くのか、と。

「プロとは」みたいなところを教わっていて、
自分の現状に満足をした瞬間に成長は止まっているし、周りは同じ速度では動いていない。
こんな体験を中学2年生の頃にしてしまったこともあって、アップデートを続けています。

もう一つは、大好きな本に「ザ・ゴール」という本があります。
この本の中に登場する概念は、制約:ボトルネックをみつけて生産性を向上させるという工場を舞台にした物語。

でも、この制約は目標に向けて、最も流れを悪くしているポイントの流れを改善するという方法。
この流れの改善活動はずっと続きます。

例えば、私と妻で働いている時代。3人になった時代。
今のように10人。
ずっと異なる課題と向き合っていたり、人数が同じでも、妻の出産のタイミングや、みんなの成長に合わせても制約は常に移動している。

このアップデートを楽しんでいます。

アップデートを楽しんでいるというよりは、その度に人の成長があり、出会う患者さんが変わり。
喜ぶ人の数が増えている。

竹永、福地の院内での写真この後も制約を改善する活動は、続いていくのでどんな変化をしていくのか楽しみにしていてください。

福地:だからかぁ。変化とチャレンジをやめない。
遠い先へ向かって進み続ける。
その向かう先は、本人にも分からないらしい(笑)
「早く行きたいなら1人で行きなさい。遠くへ行きたいのなら皆で行きなさい。」
そんな彼は、この言葉を大切にしている。
私もこの言葉、好きです。

遠藤:この言葉本当に好き。もう本当何やるかより、誰とやるかの方が大切な気がしている。

福地:共感します。いろいろな経験を経て強く思ったことは、何をするかより、誰とやりたいかの方が自分にとっては大切。
だから、田中はり灸療院で働くことを決めたんだし。

遠藤:巻き込んじゃった♪お世話になってます♪

日常の遠藤

福地:鍼灸、デザイン、スポーツ、音楽、各種エンターテインメント、園芸、ビールのホームタップ、美味しいもの・・・
好きなもの、興味のあるものが尽きない人。

とても面白い人だ。
なんて愛すべき人だ。
はみ出している鍼灸師。

そんな彼は天秤座です。

遠藤:えっ。締めは天秤座なの。
ありがとうございました。

福地:ありがとうございました。

本物の自己紹介ページは絶賛改変中です。

 

竹永百華からみた
遠藤彰宏の魅力

私が田中はり灸療院の鍼灸師として働けてよかった、
遠藤先生方と働けて幸せだと感じる理由。

建物は初代が天神に建てたレトロなビル。
その扉を開けると治療のための設備が整っている環境が待っている。
「ここは本当に鍼灸院なの?」

もちろん「設備は道具でしかない」
そんな道具を活かし、患者さんに役立たせる。
多種多様な症状の他に、妊活のサポートの鍼灸など、専門性を持った診療もできる。

私たち若い鍼灸師の挑戦(患者さんのマイナスにならない、が前提)を応援してくれる。
知識・技術の習得や院外の勉強会などをバックアップしてくれて、成長の機会に恵まれた職場である。
(患者さんや当院スタッフが温かくていい方ばかり、なのはもちろんです!)

患者さんや私たちスタッフにとって良い環境を作ってくれているのは遠藤先生と、真紀子先生です。
私の場合、女性の妊活サポートの鍼灸や肩関節周囲炎の診療を遠藤真紀子先生に学び、
それ以外のたくさんの様々な症状についてを遠藤彰宏先生(以下、遠藤先生)に学びながら、現在に至ります。
ここで鍼灸師として学び、診療ができて、本当によかった。

遠藤先生が持っている知識や技術、診療の経験から沢山のことを学びたいので、
度々、疑問に思う事、分からない事、分かりたい事を投げかけます。
「それは何故ですか」をしつこくぶつけることも多いです。

そこに正解を教えたり、自身の考えを一方的に教えたりはしないで、
ホワイトボードや画用紙に付箋を貼ったりしながら、一緒に考えるのが遠藤先生のスタイルです。
『なぜ』や『何』
「何が問題なのか」
「良い結果に繋がるために、何を選択するのか」
「そのために必要なのは何か」
「それはどうして必要なのか」
「それをしたら何が起こるのか」
問答を繰り返しながら、自分で考える。
一緒に考える。

「もっとよくなれる。皆でもっとよくなろう。」 by 遠藤彰宏

自分自身
スタッフ一人一人
チームとして
院として
知識も技術も人も

遠藤先生は大先輩で、上司であり雇用主です。
でも「上下関係はいらない」。
上司と言われるのを嫌がります(笑)

全てのスタッフと友人のようなフラットな環境。
一人一人が治療者として自立しながら、チームとして協力、力を合わせる。
私たち若いスタッフが安心して仕事ができる環境です。

先生自身が今持っている知識や技術、環境に留まることなく、常にアップデートを意識していて
新しいことを学び続けている姿勢(仕事も趣味も!)や、それを現場に活かす行動力と速度はすごいと思います。
大変そうなことも、楽しみながら取り組んでるように見えるのも、すごい。

私たちが自分の課題をクリアする度、きちんと褒めてくれて
「すごい!」
「僕より出来てる!」・・・「じゃあ、次は何をしたい?何をする?」
褒め上手で乗せ上手。

でも、ただ甘いわけじゃない。

私たちをこの院で治療をするだけの鍼灸師では終わらせない。

もっと遠くまで、先を見ている。
自分が思っていた「鍼灸」とか「鍼灸師」の枠を遥かに超える刺激をもらっています。

遠藤先生の鍼に少しでも近づきたい、あんな風に優しくて的確な鍼を打てるようになりたい。
鍼灸師としても人としても、あんな風に魅力的な人間でありたい、そうなりたい。
そう思わせてくれる大先輩です。

 

STAFF

 

 

#1
遠藤真紀子
はり師
きゅう師

#2
遠藤彰宏
CDO
(最高デザイン責任者)
はり師
きゅう師
あん摩マッサージ指圧師

#3
竹永百華
はり師
きゅう師

#4
小坂知世
はり師
きゅう師

#5
福地弓子
Cabin attendant