鍼灸学校の学生さんとの対話の中で過去を想起し現在を内省する

鍼灸学校の学生さんとの対話の中で
過去を想起し現在を内省する

はじめにお断りさせていただきたいのは、鍼灸学校の学生さんの現状が私が鍼灸学校の学生だった20年前と比較した時に大きな変化がなく。また今回見学にきた学生さんと他の学生さん、一緒に傍楽仲間ともそれぞれの事象ではなく抽象的すると問題は差がない。

またこの文章はあくまでも私自身の内省のために書いているので、個人の見解であり誰かを非難、批判する意図は全くないことをお許しいただき読み進めていただけたらと思います。

鍼灸の免許を取得したらすぐに社会で活躍できるのか?

卒業後の不安と現実のギャップ

鍼灸学生は、
「卒業後に臨床でどの程度活躍できるのか」
「どのようなキャリアを築けるのかについて強い不安を抱えています」
「学校で学んだ知識だけでは臨床に対応できないのではないかという懸念」

鍼灸学校を卒業してすぐに開業する人は昔も今も一定数います。
そんな人は決して鍼灸学校の3年間での学びで開業しているわけではなく

「自分の人生✖️鍼灸学校の学び✖️覚悟」
あとは無知や勘違いも含めて決断をしていく。
自分の決断を正解にしていく努力をその先で行なっていき補完していく。

そうやって鍼灸師として日常活躍しているのではないか。

そう考えると、開業をしない多くの卒後間もない鍼灸師はどうやってキャリアを形成していくのか。

鍼灸学校で学ぶことはあくまでも医療者として最低限の基礎を学問的に学んでいることで、インプットの量を増やす大切な期間。
臨床では対患者さんに対してアウトプットが必要になるため、患者さんの話を聞く問診力、身体診察、病態把握、治療計画、治療技術。
さらに治療によりどう変化しているか検証する。

それを自分の内側だけで処理する。
患者さんは体感を通じて鍼灸師を信頼するケースもあれば。
きちんと説明をすることで患者さんと伴走をするケース。
この時に治療以外のアウトプットが必要となる。

臨床能力。良い臨床家の定義はきちんと定義しなければ鍼の技術的なところになりがちだが、実際には非常に幅広い能力が必要となる。

目の前の患者さんの治療の時間、治療効果を最大化するためには、他の患者さんとの予約をどうマネージメントするかなど実に見えない ところでの能力も必要になる。

卒後の学習の重要性

これらの能力を学校教育だけでは十分な臨床スキルは身につかないと考えられており、卒業後にセミナーに参加したり、現場で経験を積んだりすることが不可欠です。それを就職して行うのか。開業して行うのか違いはあるが自分に足りないものは学び続け、同時に自分の価値を高め続ける。
その一方で、足りないところは山ほどある中で、「何をやらないかを捨てていく」
そんなに綺麗に捨てることができない人は全部やってみる。そうすると一見あれは無駄だったという中から実は宝が眠っていたり、その小さな宝同士を繋ぎ合わせると予想もしていない価値になったりする。
だから正解はなく、やり続ける。
鍼灸学校時代は、誰かが課題を与えてくれるが社会に出れば課題は自分で見つけて行動するしかないので、自分がその課題に気が付くことができるかどうかでも行動が変わるし、選択肢によっても変化する。

20年臨床をしている背中を見ると、学生さんはその差を認識してしまうが、それを決して才能だと思わないこと。
才能なんてないと同じように思っていた時代を見せたいが、それは残念ながらできないが、自分に才能があると感じたことはない。
「卒業後も自律的に学び続け、試行錯誤しながら自身の道を切り開いていく」ことそして「続けること」=「やめない・諦めない」に尽きる

 

学習の方法

時代時代によって学習方法は明らかに変化してくる。
この鍼灸院が77年鍼灸院をしているが、初代の田中金吾の時代には書物は非常に貴重で、本の数も限られている。
この頃の代表的な本は「素問」「霊枢」「十四経発揮」など

田中金吾も和綴の本で勉強したという話はよく耳にした。
田中正治の場合には大阪の米山鍼灸院に弟子入りし、金沢の多留内科へ研修という恵まれた環境での研修
遠藤真紀子も米山鍼灸院へ弟子入り

現在の社会では弟子入りをしていい文化は落語家ぐらいなので昭和のような弟子入り制度は鍼灸院にはもうない。
(師匠と弟子という関係性は置いておいて、労働環境も含めた弟子入り制度が現代社会にはそぐはない)

田中金吾の時代は和綴本だったが、私の時代は古本屋さんへ行って鍼灸の本を探したり、
興味のある本を鍼灸関係以外にも読んだりしていたが、

今は知りたい論文はインターネットを通じて探せる。
海外の論文も探せるし、翻訳もできる。

オンラインで鍼灸の勉強会もたくさんある。
情報に触れることがいくらでもできる時代になっている。

各学校に所属はしながらどこでも交流をすることができる時代にきている。

新しい情報に触れる意味は、臨床に役立つ実践的な知識や多様な視点を獲得し、自己の臨床を深めていくための重要な手段であると言える。しかし、本から得た知識はあくまで参考とし、実際の臨床経験を通して学びを深めていくことが不可欠だ。

社会に期待しすぎてもいけない

「皆さんは鍼灸学校に入る際に、開業して困っている人の役に立ちたい」って思って入学したと思います。
しかし、「誰かの雇用を生み出して社会貢献するって鍼灸師を目指しましたか?」

これは業界全体として、誰かに雇われるというよりも、自ら施術院を開業して働くことを目指す人が多いという現状

もう一つは、自分の技術には自身が持てるようになってきた。
しかし、「自分の技術習得に時間がかかった」「他の鍼灸師の育て方はわからない」
その上でチャレンジする意味があるのか?という問いに対してなかなかYesとはなれない。

患者さんと1対1の空間で治療してきた中で、他人がそこに入るというのはそんなに簡単なことではないし、
一人鍼灸院には患者さんとの結びつきに対してすでに価値を見出しているため、それを自ら壊す勇気はなかなか持ちにくい。

雇用が生み出しにくい現状を変えることは難しいなら、どう行動するかは自分次第でもある。
予測できるし、期待もしなければ矢印は自分に向けるしかない。

どう行動しますか?

田中はり灸療院はなぜ雇用するのか

初代の田中金吾と約束したことが一つあり「この田中はり灸療院の看板は残して欲しい」これを20代の時に言われました。
「はい。残します。」

「看板を残す」=「このままの鍼灸院を維持する」ではもちろんないので、

「看板以外他は自由にさせていただきます」ということでやれるチャレンジを開始。

私と妻の二人での鍼灸院はもし雇用に失敗するなり、嫌な思いをするならチャレンジしてからもう一度戻ってみればいい。
二人の鍼灸院という選択肢は今後もう一度選択しても良いが、高いハードルを若いタイミングで経験してみることを選んだ。

長年鍼灸院を継続して、一人一人の鍼灸師の存在感というものがいかに鍼灸院に影響を与えているか。
一人が鍼灸院から引退した途端に、昨日までの安定は消え去る脆さ。

自分が自分たちが築き上げてきた努力が簡単に消える瞬間に立ち会ってきた。

それまでの臨床で喜ばれた時間は大切でそこには大切な時間、意味があった。
しかし、あまりにも脆すぎる。

それを自分たちの世代でもやり続けるのか?という問いに対して
「雇用をしてみたい」「2人で力を合わせたらいけるのではないか?」
私たちは夫婦で鍼灸師をしているという強みの一つが、別に今までの労力を1.5倍にしなくても1.2 倍を二人でしたら良くないか?

そんなタイミングで、求人を出していないにも関わらず「雇用してもらえませんか?」って電話が鳴る。

自分だけでは決断しきれていなかったタイミングで背中を押す。引き金を引いてくれる人がいた。
何か大それた決断と覚悟があったわけではない。

「自分の人生✖️鍼灸学校の学び✖️覚悟」
あとは無知や勘違いも含めて決断をしていく。
自分の決断を正解にしていく努力をその先で行なっていき補完していく。

これは自分も含めてです。
雇用の時にも、知らないことばかり。

「アウトプットの速度を早める」
「相手によって変える」
「自分ができなかった喜びが生まれる」

一人鍼灸院の先生でこの文章を読んでくださっている方がいたら決してご無理はなさらないでください。
1.5馬力か 2 馬力か必要になってしまうので、安定するまであまりにも大変すぎます。

でも、雇用してよかったことは「患者さん相手だと専門家ではないのでわかりやすさを優先して言葉えらびをしたりするので、論理性はそこまで強く求められないことがあります」

しかし、一人の医療者と関わる時に、自分の言葉えらびによって相手のインプットが変化し、将来的なアウトプットが変わる。
大切な分岐点にいる仲間に対して、安易に納得されるような言葉を選ぶことも、答えを簡単に教えることもしない。

にも関わらず気がつける言葉選びと設計を考えていく。
まだまだできていません。でも考え続ける。

結局人は、誰かに変われと言われても変われない。
自分の納得した答えを探し続けて掴みとっていくしかない。
誰かを変えることなんて私にはできないが、変わるきっかけになる環境を作ることはできるかもしれない。

そんなことを信じて鍼灸院を営んでいます。

今まで雇用した鍼灸師は8人
みんな違う。

この鍼灸院ではマニュアルがあるわけではないし、
成長していくスピードも違う。

前提は、一人一人が鍼灸師になった理由も違うし
ここで傍楽理由も違う
こんな患者さんの力になりたいという相手も違うし
将来の目標も違う

それぞれを同じとして向き合う方が難しい

だから、同じことを学ぶにしても手段レベルでは全員違った。

そして、会社としては7人体制になって教え合う文化、質問のレベルも気付きのポイントも変わってきているので、
またこれまでとも違いが出せるところまできている。

今後も求人を出す予定はない

まだこの鍼灸院は、求人を専門学校、求人サイトに出したことがないし、
今後も出す予定がありません。

1)「人が欲しいタイミングでは雇用しない」

これは空腹で買い物に行かない感覚に近い。

正常な判断をするためには、人が欲しいから採用するのではなく
この人となら自分たちが描いている未来に近づけるか、一緒に叶えることができるか。
この人との苦労なら一緒にしても自分も言い訳しないか。

そんなことを意識しながら自分たちが働きたい人をこちらも探す。

2)自分たちの理念(想い)、行動要件にあった人材と傍楽

「想い(当院の理念)」

わたしたちは新しい価値を創造を通じて
世界を健康に 世界を笑顔に

「患者さんのために」
新しい価値と高い品質の治療とサービスにより よい未来へ
さまざまな提案を通じ 患者さんの期待以上の満足を追求します

「社員のために」
働きがいと公正な機会を
人を大切にし 人を育てる
一人ひとりの個性を尊重し いきいきした職場を実現します

「社会のために」
社会の一員として責任を果たし社会との調和ある成長を目指します

この鍼灸院が挑む先に
みなさまのより健康的な未来が待っていること

これが私たちの100年鍼灸院へ向けた新しい挑戦です。

「クレド」

私たち田中はり灸療院の仲間は「想い(理念)」を実現するために
私たちのクレドを実行します

「患者さんに」
私たちは
この鍼灸院に「出会えてよかった」と
笑顔で安心して帰っていただける治療 サービスをします
患者さんが誰かに話さくなるような 治療サービスをします

「社会のために」
私たちは
社会の一員として信頼を積み上げ続ける行動をとります
鍼灸といえば田中はり灸療院と言われるようにします
鍼灸師をなりたい職業No.1にします

「いきいきした職場のために」
私たちは
笑顔で「ありがとう」「お願いします」を伝えます
先ず先に挨拶をします
仕事仲間の悪口を言いません

「働きがい」
私たちは
自ら常にチャレンジし、仲間のチャレンジをサポートします
自らアップデートし、それを患者さんに還元します

3)社長の独断で人を選ばない。この人を仲間が加われば共に成長できるか
もし、期待通りとは行かなかった時に、採用で選んだのは自分ですと責任持った行動を取れるか。

それとも、社長が新しい人を選んできたから、責任は採用者にあって他責とするのか。

この人数で傍楽際に注意しているのは、一緒にいる時間の中での空気感、言葉選び、患者さんとの時間なんかは面接ではわからないので、一緒に共有できる時間を必ず作るようにしています。

ですので、求人を表に出していない。
でも、雇用をし続けていく。
採用活動も裏で行なっている鍼灸院です。

内省という主題で文章を書いていきました。
同世代の先生でも少しずつ鍼灸院という形態で雇用をされる先生が出てきているので、本当は「社会に期待」している自分もいます。
20年前から変わってきていない現実を受け入れるのか。何を何にどうやって変えていくのか。

良い仲間と傍楽ことができているので、私はこの挑戦をし続けたいし、さらに加速させたいです。

そんなことを考えていました。

(文責:遠藤彰宏)

 

 

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