早く行きたいなら一人でいきなさい
遠くへ行きたいならみんなでいきなさい
私たちは創業73年が経過したこの鍼灸院で
チームとして患者さんの期待に応え続けること
「伝統(アート)」×「科学(サイエンス)」
鍼灸院の新しい形を創造し続ける
私たちがどんな思いで集まったのか
どんなことをしてきたのか
どんなことをしていきたいのか
それぞれの一面をご紹介させてください
遠藤真紀子
「鍼灸師の家系に生まれ鍼灸師を選んだ職人」
「男前な一面」
福岡県出身
はり師
きゅう師
所属団体 不妊カウンセリング学会 JISRAM(日本生殖鍼灸標準化機関) 鍼灸SL研究会 日本臨床鍼灸懇話会 |
鍼灸は生活の一部
祖父、父が鍼灸師という環境に生まれた私にとって、幼い頃から鍼灸治療は日常の中の一部でした。
「風邪を引いても鍼」
「歯茎が腫れても鍼」
鍼灸治療が身近にあることがどんなに有難いかを考えることもないほど、生活の一部だった子供時代。
それほどの環境にいながら、
大学に進学した頃も自分が鍼灸師になろうとは考えもせず、
社会福祉学科でカウンセラーになることを目指していました。
転機は大学2回生の頃。
夏休みを利用して福岡に帰省した際に、鍼灸院を手伝う機会がありました。
私が生まれる頃に鍼灸院が移転し、実家と鍼灸院は別となりました。
祖父や父が治療している風景を見たのは、この時が初めてでした。
痛みの強い患者さんが、帰る時には“楽になりました”と言って帰ってゆく。
治療前と治療後の変化を目の当たりにした衝撃と感動は、今でも覚えています。
困っている悩みに対して寄り添うことは、カウンセラーにも出来るかもしれない。
でも、これだけ直接的に関わることができる鍼灸って、想像以上に凄い。
私もこんな治療ができるようになりたい。
鍼灸という治療の魅力。
鍼灸師という職業の魅力に、この時に初めて気がつきました。
「自分が一生していく仕事はこれだ」と思いました。
専門学校への入学
米山鍼灸院での修行
専門学校に入学後に、父も弟子入りしてお世話になっていた大阪の吹田市にある米山鍼灸院に私もお世話になりました。
米山鍼灸院は、その当時から開業70年以上という歴史のある鍼灸院でした。
故米山由子先生をはじめ、鈴木悦子先生、鈴木信先生という3世代に渡る先生と兄弟子という環境で修業時代を過ごさせていただきました。
“鍼灸の技術的なこと”はもちろんですが、
何より“治療者としての心”や生き方を学ばせていただきました。
この米山鍼灸院での生活は、専門学校では学ぶことができない体験ばかりでした。
鍼灸師としての私の土台は、父と同じく米山鍼灸院にあります。
同じ鍼灸院に弟子入りをしたことで、父の鍼灸学校時代や修行時代という、私の知らない頃のことを知ることができたことも嬉しい体験でした。
師匠から聞く「あなたのお父さんは、優しくて誠実な人」
これはやっぱり嬉しかったです。
熟練の技を体感
米山鍼灸院の米山由子先生にお世話になった頃の先生は88歳で現役。
福岡に戻り、田中はり灸療院の祖父の田中謹悟が当時86歳。
お二人とも戦前から鍼灸に携わり、培ってきた技術の結晶。
“身体に触れる” “鍼を刺す” “患者さんに言葉をかける” どれも洗練されています。
現在の鍼灸の世界では、徒弟制度は過去のものとなりつつありますが、私が学ぶことができた“鍼の技と心”は生涯追及し続け、受け継いでいく必要があります。
私が体験してきた鍼灸の良さを患者さんだけではなく、私たちより若い世代の鍼灸師に伝える努力を今後はしていく必要が出てきました。
一緒に働いている仲間の鍼灸師、インターンで当院を訪れる鍼灸師、学生の方とともに、一緒に学び続けていきたいと思います。
患者さんの年齢の変化と共に
来院主訴が大きく変化
私が福岡に戻ってきた頃の鍼灸院は、痛みが主体の患者さんばかりでした。
故田中僅悟も、故田中正治も、痛みを伴う疾患を専門としながら内科的な治療も行っておりました。
当時来院していた患者さんの平均年齢は70 歳前後。腰痛、頚痛、肩痛、膝痛の患者さんが大きな割合を占めていました。
私と遠藤彰宏の2人体制になった2011年頃からは、治療者2人が若返ったことを機に、
「より再現性の高い鍼灸治療を提供する!」を合言葉に、スーパーライザーやエコーを導入し、
自分たちの知識や技術も磨き続けています。
その結果、当院を受診する患者さんの主訴に大きな変化が出てきました。
2021年の現在では、患者さんの平均年齢は40歳を切る若さとなり、
来院される症状も
妊活(体外受精と併用で鍼灸をされる方)、逆子
耳鼻科疾患(突発性難聴、耳鳴り、顔面神経麻痺)
痛み(椎間板ヘルニア、頚椎捻挫、腰痛、膝痛)
その他、自律神経症状を含む不定愁訴と専門性が変化してきました。
妊娠出産を希望される
患者さんとの出会い
妊娠、出産を希望される患者さんが増えたことは一番大きな変化でした。
初めて来院された妊娠希望の患者さんは、「体外受精で移植をする際に、鍼灸治療を併用したい」という希望で来院されました。
今振り返ると、その頃はまだまだ「不妊症に対する知識」も「治療」も甘かったと思います。
その方は幸いにも妊娠され、無事ご出産されました。
この時の治療者としての喜びは、これまでの治療体験とは違う “いのちと向き合う” 鍼灸治療だということに気づきました。
それから不妊カウンセリング学会に参加し不妊カウンセラーとなり、知識を積み上げていき、さらに不妊鍼灸ネットワーク、現JISRAM(日本生殖鍼灸標準化機関)や、中村一徳先生(JISRAM会長 京都 なかむら第二針療所)の私塾を通じて、より深い知識だけではなく、医療者としての学習の仕方を学ばせていただきました。
その学習を通じて全国の先生方と交流をさせていただき、不妊症の方への鍼灸治療とスーパーライザーの併用療法は、治療の幅や効果がどんどん広がってきています。
すでに来院された患者さんからの最新の医療機関の情報も、次の患者さんへの大きな財産になっています。
その頃から少しずつ積み上げてきたことが2021年8月に形になり、第16回日本レーザーリプロダクション学会での発表を鍼灸院を代表して遠藤彰宏が行いました。
「凍結胚移植時の鍼灸・レーザー併用治療」
妊活の鍼灸治療を一緒に行っている岩佐ゆかり、竹永百華も一緒に、データの収集から参考文献を集め、発表の形にしていく。
これらに日常の診療と並行して取り組みました。
また、その裏で支えてくれたのが荻、小坂、福地という仲間。
実際には田中はり灸療院全体で取り組んだ学会発表でした。
そして、この間に私自身が出産をしました。
妊娠、出産に伴い、鍼灸院での診療のバランスを変える必要があり、全員での成長が必要でした。
田中はり灸療院はコロナ禍で日々の臨床、学会発表、私の産休といった様々な課題と向き合う中で個々にもがきながらも、チームとして結束して成長をすることができています。
今ようやく、田中はり灸療院の新しい土台が完成したように実感しています。
この紹介文を令和3年の9月に書いていますので、緊急事態宣言中ということもあり、
まだまだ鍼灸治療を受けに来るには不安な方も多いと思います。
ご自身のペースで良いと思います。
田中はり灸療院が福岡にある。
少し、頭の片隅にでも置いておいていだたければ。
私たちは、ここから更に成長して、お待ちしています。
鍼灸に携わるようになってからの17年はあっという間でした。
この仕事につけた喜びと、一緒に歩み成長してくれる家族、そして多くの患者さんに感謝しております。
遠藤彰宏からみた
遠藤真紀子の魅力
鍼灸学校に入学したのが2001年です。
高校を卒業してすぐに入学した私と、大学に進学しながら鍼灸学校に通い出した真紀子。
年齢は違うが、たまたま同じ専門学校に入学し、同じクラスになる。
鍼灸学校に入って、特にお互いを意識することはないまま時を過ごす。
真紀子さんが米山鍼灸院に弟子入りしていることも知らないぐらい、お互いの距離は遠い。
たまたま同級生が米山鍼灸院に見学に行くと、鍼灸学校で実技の授業を受け持っていただいていた鈴木信先生が院長で、
鈴木先生の祖母にあたる米山由子先生がまだ現役で鍼をされていて、
同級生は、由子先生の鍼にえらく感動して帰ってきた。
「えんちゃん。あの先生に会っておいで」
この時、自分はただただ知らない鍼灸の世界に心惹かれて、米山鍼灸院で見学をさせていただくことになる。
いつ頃からだろう、お互いを意識したの。
この頃漠然と考えていたのは、結婚するならこの人面白いだろうなって思う側面はあって。
いい表情しているなぁ。
彼女の患者さんはお気づきかもしれない。
でも「男前な一面」、どっしりと構えていてる。
「頼りになる鍼灸師」
それに比べて、自分の「女々しいこと」
いや。いいんですよ。
これがバランスなんだと思うので。
これはちょっとしたネタなんですが、
遠藤真紀子は動物占いで「ライオン」
その中でも「感情的なライオン」
徹底的にこだわる |
その道の先生を目指す |
教え方が厳しい |
礼儀礼節にうるさい |
世間体を気にする |
決して弱音をはかず |
決して弱音をはかず |
歳上女房というレベルではなくて、ただただ「かっこいい」!
あぁ自分の動物占いを公開するの、なんだか嫌になってきた。
もう少しなかったのかなぁ。
「品のあるチータ」「夢とロマンのコアラ」「クリエイティブな狼」
こんなキャラクターだったらよかったけど、
私はというと「猿」。
その中でも「落ち着きのない猿」。
特徴は
細かいこと、小さいことに気が付く |
乗せられると弱い |
なんでもゲーム感覚で楽しむ |
ほめられたいために頑張る |
話す時は、人の目をジッと見る |
手先が器用 |
何事も短期決戦 |
もうどんだけ!って。
これもまた運命なんでしょうね。
殿に仕える感じ。
プライベーなLINEで二人でやりとりしていると、このLINEが送られてくる。
「殿〜っ」
面白いですね。
WEBを作り始めたきっかけ
はじめて私が2009年に自作で鍼灸院のWEBページを作りはじめたときの動機は、
「私は彼女の鍼のファンだ!」つい先日も、少ししゃべりすぎると声が擦れてしまい、刺激で咳が出るという症状があって。学会発表とかで、きゅっと喉が縮んで話をするといつもこういう症状になります。
その時、真紀子さんに鍼をしてもらったのですが、やっぱりめちゃくちゃ上手い。
鍼が上手いとか下手って何って、患者さんはなると思うんですが。
治療効果を出す時に、いい曲であること。
これは治療方法の話で、エビデンスやプロトコルのような型の話。
そこに演奏者としての個性が出て、もう痒いところに手が届く感覚。
「先生!そこなんです。私の悪いところ。」
「なんでわかるんですか」
彼女の鍼は、やっぱりこんなところを表現してくる。
「彼女のこの鍼を困っている方に届ける」
これは今の技術に対して感じていることではなくて、きっと結婚して一緒に働くと決めた時からしている。
その時に、時代としてはWEBとしての選択肢だったのが 2007 年頃。
今ならYouTubeから始めていたかもしれません。
今から考えると拙いWEBページだったと思います。
最初はホームページビルダーで作り始めて思ったように作ることができないところから。
でも、これって生まれて始めてえんぴつで書いた頃のラブレターだったり。
大切なことは見た目ではなくて、気持ちなんじゃないかなって思います。
10年以上WEBをコツコツ作っている。
その都度、自分たちの成長に合わせて洋服を着せ替えるようにWEBを作り変えていく。
今では皆さんにみていただいているようなWEBを作れるようになりました。
現在も、まだまだ思っているWEBは作れていないので、これからも努力を続けたいと思います。
拙いなりに作り続けていると、
妻と患者さんをつなぐWEBは少しずつ、広がりをみせてくれるようになり。
鍼灸院に来院して喜ぶ方も年々増え、鍼灸院で働く人も年々増え。
この笑顔を見ると、私自身もより頑張ることができます。
彼女の中の経験も増え、鍼灸師としての魅力もここでは表現しきれないだけ増えていて、全然追いつかない。
「真紀子先生の魅力はこんなもんじゃない。」
いつも近くで一緒に働くことができ、特等席で活躍しているところを見ることができる。
患者さんを笑顔にしながら、本人が笑顔で輝いているところを見ることができるのは本当に幸せだなと思っています。
竹永百華から見た
遠藤真紀子の魅力
これほど患者さんに愛され、スタッフにも愛される人はいない!と思います。
柔らかい笑顔、静かに相手の話を聞き、寄り添い、相手を慮りながら優しく丁寧に診療をする姿。
患者さんの中には「私は真紀子先生じゃないと!」とおっしゃる方がいらしゃいます。
この絶大な信頼と安心感を与えているのは真紀子先生の豊富な知識と確かな技術と、何より人柄から生まれるのだと思います。
そして、
どこまでも柔らかな表情と物腰ですが、鍼灸の仕事はどこまでも職人気質!
可愛らしい一面があって、ほっこりするキャラでありながら、仕事は男前!
厳しくて、温かくて、優しい。
鍼灸師でありながら経営者でもあり、私にとっては優しい先輩でありながら、師匠でもあり。
そのギャップも真紀子先生の魅力です。
遠藤彰宏先生とご夫婦で切磋琢磨しながら、全力で患者さんのために、この鍼灸院のために働く姿には尊敬しかありません。
私にとって偉大な師匠であり、愛すべき人です!!
#1
遠藤真紀子
はり師
きゅう師
遠藤彰宏
はり師
きゅう師
あん摩マッサージ指圧師
竹永百華
はり師
きゅう師
小坂知世
はり師
きゅう師
福地弓子
元Cabin attendant