2022年有限会社から株式会社COMPASSへ
2022/8 有限会社から
株式会社COMPASSへ
2022.12 一年を振り返る季節になってきましたが、今年は田中はり灸療院の内部で大きな変化があったのは、
これまで有限会社カネマサという会社を営んできましたが、2022.8に株式会社COMPASSへ。
また、代表も遠藤彰宏が新たに就任し、新しい未来を切り開いていきます。
「COMPASS」は羅針盤という意味がありますが、
道に迷っている患者さんのCOMPASSとなる。
鍼灸師だけではなく、自分の能力を活かせていない医療者が世の中にはたくさんいます。
その道に迷っている医療者のCOMPASSとなる。
「これまでと同様、鍼灸という事業が柱にはなってくるものの、
他業種を巻き込みながら理想の医療をどう実現していくのか。」
また自分たちの拠点は福岡ですが、
福岡に限定していた仕事の領域を、国内なのか。
海外なのか。
どうやって広げていくのか。
これは
日常で行っている鍼灸治療の魅力を誰のために届けていくのか。
これを限定してしまうのはもったいないと思っています。
それだけ、この仕事が好きです。
これからどんな未来を描くことができるのか。
仲間と共に歩んでいきたいと思います。
株式会社COMPASS 代表取締役社長 遠藤彰宏
私が持っている課題意識
今から16年前に24歳の時に、この田中はり灸療院にきました。
大阪の鍼灸学校を卒業して、京都であん摩マッサージ指圧の専門学校を卒業して、結婚と同時福岡へ住むようになり、
田中はり灸療院に就職しました。
就職したタイミングは、2代目の田中正治と、真紀子と3人での診療からスタートしました。
初代の田中謹悟はすでに引退をしている状態です。
田中正治は、大阪の米山鍼灸院で修行し、その後金沢の多留淳文先生の内科で研修を行い福岡へ戻り田中はり灸療院へ
福岡の鍼灸師会での活動や、日本臨床鍼灸懇話会や全日本鍼灸学会で活動し、業界の発展に寄与してきました。
田中正治の特徴として私が感じていたのは、現代医学を中心に再現性のある鍼灸治療を追求しつつ、東洋医学の視点も持ち合わせている。
東洋医学的な視点というのは、鍼灸学校の同級生に木下伸一先生、同門に米山義先生、そして代田文誌先生の影響を受けて医師になった多留淳文先生の影響。そのほかにも名前を挙げればキリがないほど影響を受けているはずです。
「本当は、体調が万全であれば代田文誌先生の書籍を読みながら勉強会をしたかった」
これが実現できなかったのは、田中正治の体調面と自分の未熟さと、タイミングが噛み合わなかったことが残念です。
田中正治の良き友の窪田先生と食事に行かせて頂いた際にも、やはり「正治は、本当は遠藤くんと真紀子ちゃんと米山鍼灸院を知っているものが集まってこんな勉強会をしたかったんだよ」って教えていただきました。
「当時の生意気な自分をぶん殴ってやりたい」
「本当にごめんなさい」
そんな気持ちの自分がいます。
鍼灸師としての田中正治を今でも私は、尊敬しています。
そして、追いつけないとも思っています。
私が田中はり灸療院で勤めるようになって、2年目に田中正治がくも膜下出血で倒れます。
不在になって初めて知る存在感と、その時に、「お前たちにはまだまだ任せてはおけん。」と登場する初代の田中謹悟。
田中謹悟は、すでに90歳に近づいていましたので、全盛期はすでに過ぎていたはずですが、
現場に立場その輝きを取り戻す。
的確な鍼と、患者さんを笑顔にする魅力的な鍼療。
いつもと変わらない鍼灸院の景色の中で、舞台役者が変わればこんなに表情が違うのか。
田中正治が座長の舞台と田中謹悟が座長の舞台。
そこに集まる患者さんたちの表情がまた一つ変化する。
この時に、鍼灸師が30年、50年、70年と経過先に到達する世界というのを魅せていただきました。
あーこんなことができるようになるのか。
自分が到達することのない景色はどんな世界なのか。
二人のみた景色はどんなだったのか。
もっと今なら聞いてみたいことがたくさんあります。
この世界戦には、真紀子が挑んでくれたら自分はそれでいいし、
行くならその覚悟を持って挑まなければ決していけない。
この時みた名手と一緒に働ける時間はそうは長くありませんでした。
私たちは、その偉大さと同時に、脆さを体験することになります。
私たちにできることは何か
他者と比較すれば当時の20代の自分の鍼というのは見劣りをする。
先代、先先代と比較して勝てるところは何一つない。
そんな気持ちで打ちひしがれる日々。
「自分たちに価値はあるのか」
内省をする日々。
この時に自分の短い鍼灸人生を振り返ってみると
「米山榮先生の鍼灸師✖️神経内科医」という視点での鍼灸治療は「鍼灸治療による組織損傷を起点として治癒が始まる」
これは名人芸や個人の技の世界ではなく、鍼治療が持っている治癒起点であり「鍼灸が持っている価値」
「私の価値ではなく」「鍼灸の価値に焦点を当てます」
あとは、鍼灸以外の世界でも個人の技から脱却した世界はどういうものがあるのか。
例えば、それまでは医師しかすることが許されなかった「血圧測定をオムロンが可能」としたり
「獺祭の杜氏をなくして科学を採用した酒作り」医療の中でも「サイエンスとアート」という領域に興味を持ちながら
どこまでは再現性があって習得できるのか。
どこからは個人の技の世界なのか。
医師は、国家試験に合格し医師免許を取得後にインターンを行い医師として働くのに対して、
鍼灸師が国家試験に合格して、鍼灸師と働く生存率があまりにも低い。
これは受療率の違いもあるが、鍼灸の教育制度の問題。
ここでいう教育制度の問題は、業界としての教育制度ではなく、現在にあった鍼灸院の中での教育制度と雇用問題がまだまだ不十分だと考えていました。
暗黙知を形式知へ
暗黙知とは、経験的に使っている知識だが簡単に言葉で説明できない知識のことで、経験知と身体知の中に含まれている概念。例えば微細な音の聞き分け方、覚えた顔を見分ける時に何をしているかなど。経験知ともいう。
暗黙知に対するのは、言葉で説明できる形式知。暗黙知としての身体動作は説明しにくいが、経験知では認識の過程を言葉で表すことができる。
鍼灸師の世界というのは、この暗黙知で溢れています。
鍼灸も鍼灸師の技術も素晴らしいのに、なぜ一部の方にだけ評価され、一方で全く鍼灸を知ることない人がこれだけ大勢いるのか。
この暗黙知を形式知へと変換していくこと。
その形式知へと変わった時に、「患者さんへの鍼灸の形や情報伝達が変化」また「鍼灸師間での情報の形が変わることで習熟度が短くなる」
もしくは鍼灸師が持つべき基礎能力の部分をサイエンスで構成することができ、その上でアートの部分を表現できるようになるのではないか。
そんなことを20代の後半で考え始めました。
当時は今ほど言語化できていませんでしたので、自分の直感をうまく人に伝えることはできず
多くの誤解を生んだと思います。
皆さんごめんなさい。
未熟すぎました。
再現性・定量的
先ほどの血圧計の話のように、私たちは診断行為は許されていないものの、確認をすることは許されている。
そのため領域を絞って、エコーを導入したり、身体所見で道具を使ったりします。
触診で、逆子の胎児の位置を確認するってかなり大変です。
胎盤の位置によっては全くわからない。
この胎児の位置をうまく確認するようになるまでに何年費やせばいいのでしょうか?
エコーを使えばすぐそこに視ることができるのに。
テクノロジーが進歩したことで、私たちの鍼灸院の経営というのは変化することができています。
それを適材適所に用いることで、私たちが努力すべき方向が変化してきた。
ただそれだけです。
お風呂に入れば、お湯が出る時代に、薪割りと火おこしから学ぶ必要はないし。
自動の洗濯機がある時代に、洗濯板の使い方を知る必要はない。
少なくともこの鍼灸院は、新しい技術を取り入れながら、鍼灸の新しい形を創っていくことで、
鍼灸を通じてより患者さんの抱いている課題をより再現性を持って解決する。
その再現性を追求した先には、喜ぶ患者さんも増え、喜ぶ仲間を増える。
それが福岡だけではなく、日本の各地でできるし、世界でだってできる。
その考え方を発展させていけば、鍼灸の枠だって取り除くことができる。
今考えているのは、そんな未来です。
それをやりたいと思って信じたのは当時私だけだったかもしれません。
でも、今はできるって思えるのは、ここに集まる人たちが背中を押してくれています。
一緒に働く仲間たちが一生懸命努力して
ここに集まる患者さんの笑顔が増えていって
ちゃんと自分は自分の役割を果たさなければいけないなぁって
そんなことを考えています。
この会社が困っている誰かの羅針盤になれますように。
私たちは努力をし続け成長していきます。