田中はり灸療院について

田中はり灸療院は、どんな鍼灸院ですか?
この問いかけを私自身(遠藤彰宏)も福岡に来て11年考えています。
また、遠藤真紀子にとっては、稼業を継ぐという彼女にとっては田中はり灸療院に勤務するようになった13年前よりもっと以前から考え続け、今もな正解は見つけることができていないかもしれません。

それぞれの原点

鍼灸という職業を志すきっかけは、それぞれ違います。
遠藤彰宏は、もともと野球を小学校から高校までしている中で、高校時代に太ももの肉離れをきっかけに鍼灸と出会います。治療を回復して、復帰する力にも感動をしましたが、その後に日常的に鍼灸を受けることでパフォーマンスが向上することに驚きました。

鍼灸という職業を目指すことになりました。

一方で、遠藤真紀子は鍼灸師の家に生まれ幼い頃から、風邪を引いては鍼!
口内炎ができても鍼!とまるで歯磨きのように日常的な存在に鍼治療がありました。

本人は、鍼灸師になるということは考えずに大学進学で、関西の大学へ行き心理学を専攻します。
カウンセリングという視点で物事をみるようになって帰省した夏休みに稼業を手伝う機会があり鍼灸という職業はカウンセリングもしつつ、鍼灸という治療の武器も持っているということに気がつきはじめて鍼灸師になるという決意をします。

互いに鍼灸との距離は違う中で、
お互い”鍼灸”と治療に魅せられ
鍼灸師という職業の魅力にも心を鷲掴みにされました。

米山鍼灸院(大阪府吹田市)との出会い

田中正治が米山鍼灸院に田中僅悟の縁で弟子入りしたのが今から45年以上前です。
米山博久先生、米山由子先生そして兄弟子、学友に恵まれた大阪生活。

真紀子が大学進学を関西を希望した際には、「関西に行かせれば、真紀子は鍼灸師になるんではないか」これは少ない可能性だったかもしれないが、結果的に父の願った通りになり、大阪の森ノ宮医療学園専門学校に入学し、米山鍼灸院へ弟子入りをします。

森ノ宮医療学園に遠藤も入学し、友人関係だった真紀子の縁で米山鍼灸院へ出入りをさせていただくようになります。

そのときに出会ったのが米山由子先生と、米山鍼灸院の方々でした。

米山由子先生の言葉で大切にしているのが
「あなた達の鍼で、患者さんは鍼灸の評価をされます」
「鍼灸の代表であるという自覚ももって鍼灸という仕事をしてください」

この言葉は、私たち二人が生涯を通じて果たしていくべき責任であり、
考え方の柱にもなっています。

田中正治の中にも米山由子先生の言葉は残っていますし、田中はり灸療院の重要な柱になっています。

また、米山由子先生の鍼は音色のように「鍼のひびき」の中に心地良さがありました。
私たちが学校教育の中で受けることができない「技」の伝承。
鍼を受けて体感し、それを知っているものに表現して、再現性を積み重ね技術を磨きます。

私たちが鍼を表現する際に、「刺激の量」×「刺激の質」×「治療の組み合わせ」という表現方法を使います。

これは、ラーメン屋さんにいって、「麺の量」×「麺の硬さ」×「トッピング」であったり
カレー屋さんでの「ご飯の量」×「カレーの辛さ」×「トッピング」の表現に似ています。

米山由子先生にとくに学ばせていただいたのは、「刺激の質」の部分が非常に大きく。

いかに、鍼を初めて受けるため緊張している方には「無痛」で結果を出していくのか。
転勤で福岡に来られた方で、鍼灸院を探している方の中には「こんな鍼が好き!」という方がいます。
その方には、刺激の音楽のボリュームのように調整して出力するということを意識して刺激を行います。

田中はり灸療院の2人の師

遠藤真紀子は、平成17年より遠藤彰宏は平成19年より田中はり灸療院で鍼灸をするようになります。

田中僅悟、田中正治という二人の鍼灸師と田中はり灸療院へ通う患者さんによって、
私たちはビルドアップされていきます。

鍼灸をすでに知っている患者さんに対して鍼灸治療をすることは、
「田中僅悟、田中正治と比較して私たちはどんな鍼灸をするのか」という評価を受けます。

例えば、治療の前に痛みを感じている患者さんに対して、
私たちが鍼灸をして変化する幅と、田中僅悟は治療した変化、田中正治が治療した変化。

これは明らかに違いました。

この変化量の違いは、「問題を見つける力(分析力)」「問題を解決する力(技術力)」だと考え技術を磨き続けています。

これを5年間日々繰り返していきます。